梶浦徳雄(NORIO KAJIURA)
1951年岡山に生まれる。妹尾小学校、岡山大学附属中学校、岡山朝日高等学校で学び1970年東京芸術大学工芸科デザイン専攻入学。1975年同大学大学院油画技法材料研究室入学。同大学院修了の後一年間研究生として在籍。1981~82年国立ウイーン美術大学彫刻科に留学。ウイーンを中心にオーストリア、ドイツ各都市の美術事情を調査。各時代、各傾向の美術が社会、一般生活と自然に結びついている状況に感銘を受け当地での活動を志す。一時帰国の後1986年に再渡墺、以後オーストリア、ウイーン市に居住しヨーロッパ各地及び日本での制作、発表活動を行う。2017年末に制作の拠点を日本とするために帰国、岡山にアトリエを構える。
展覧会(概略)
1979年初の個展(空間構成)を神田新田村画廊で行う。1980年から84年にかけて真木画廊(神田)、神奈川県立文化センター(横浜)、新宿文化センターで個展、グループ展を各数度開催。
1987年ウイーンでの最初の個展をギャラリー・スペクトゥルムで開催。その後ギャラリー・メルツ、ノイエギャラリーウイーン、ミノリーテン芸術センター、ツァイトクンストインスブルク等オーストリア各都市で個展、グループ展開催。
1990年よりギャラリー・ティラー(ウイーン)をメイン画廊にドイツをはじめヨーロッパ各国各都市での個展グループ展を行う。ギャラリー・マット(エッシェン)、トップエアー(シュットゥットゥガルト)、クライネ・ギャラリー(ヴァイプリンゲン)、ギャラリー・マイスナー(ハンブルク)、国立ソフィア博物館、カルカル市立美術館、市立文化ホール(ハム)他。
1991年より日本での作品発表を再開。日本画廊(東京)、ギャルリー・ソノリテ(大阪)、天満屋美術画廊(岡山),ギャラリーK(倉敷)、ギャラリーしをり(倉敷)、安楽寺(京都)、花いろ(京都)、䕃涼寺(岡山)、薫(岡山)、アトリエ・ライブ(岡山)、レモングラス(倉敷)、プラザ・ギャラリー(調布)、あーとらんどギャラリー(丸亀)、アンクル岩根ギャラリー、シーク・カフェ(岡山)、ギャラリー倉敷、アートスペースはね(熊本)、日々の泡(岡山)、曹源寺(岡山)、Room_412(東京)ギャラリーEM(長崎)、自在空間Art Sep(神戸)、ギャラリ−108(岡山)、ギャラリーメリーノ(倉敷)他。
2003年よりアートマーク・ギャラリー(シュピタール アム ピュールン、ウイーン)をメイン画廊に活動。他にプーフハイム城(プーフハイム)、ラッテマンギャラリー(ダルムシュタット)、ギャラリー・ラング(ウイーン)、フォーユーアンドユアカスタマーズ(ウイーン、チューリッヒ)、エスター・モントリオール(バルセロナ)、アン デア シュミーデ(パッシング)等。
アートフェアにも多数参加。バーゼル、ウイーン、リンツ、ゲント、モントリオール、ケルン他。
オーストリア文部省、ウイーン市文化局、低地オーストリア州政府、リンツ現代美術館、メードリン市文化局等公的
収蔵多数。